とある閑静な住宅街の一角に、ひっそりとたたずむ小さな洋館。
木々にかこまれたその建物には、さまざまな悩みを抱えた人たちが、次から次へと訪れます。
「マダム・リリー」
この洋館でサロンを営む女主人を、彼らはみなそう呼びます。
本名、年齢、経歴不詳。
どんな悩みに対しても、「私も経験あるわ」が口癖で、普通は言いにくいようなことでも、サラッと一刀両断するのがマダム流。
解決できるかわからないけれど、そんなマダム・リリーの話を聞きに、悩みを抱える人々が昼夜を問わずやってくるのです。
さて、本日昼間にやってきたのは、品の良いブラウスに、繊細な刺繍がされたカーディガンをはおり、タイトめのスカートをはいた中年女性。
小柄な体とおとなしそうな顔だちは、古風な日本女性といった趣を感じさせながらも、下がった眉尻からは不安な気持ちが見てとれます。
いったい、どんな悩みを抱えているのでしょうか?
ヨウコ(62歳)のお悩み相談 孫を抱きたくて…
リリー「あらあ、いらっしゃい。何か気になってしょうがないことがあるって顔ね。どんな悩みかしら?」
ヨウコ「ええと、私には37歳になる息子がいまして、4年前に同じ歳の女性と結婚しました。1人息子なので、33でやっと結婚したときには、これで孫が抱けると思って、主人とそりゃあ喜びましたよ。
けれど、何年経ってもいっこうに子どもができる気配がなくて。だから、実は不妊治療とかをしているんじゃないかって、こちらも遠慮して聞かないようにしていたんです。
でも、やっぱり気になって、1年くらい前に『不妊治療してるんでしょ? お金かかるのよね。援助しようか?』って息子に言ってみたんです。そうしたら、『は? そんなのしてないよ。俺たち子どもはつくらないことにしてるから』って!
納得できなくて、理由を聞いたり説得したりしていたら、何だかだんだん嫁に避けられるようになってしまって。最近は、お正月ですら家に来なくなって。あんまりだわ!
そういうのって、DINKS(ディンクス)っていうんでしょう? 昔流行ったわよねえ?」
リリー「ええ、そうね。”DINKS”− “Double Income No Kids”の略ね。要するに、夫婦共働きで、あえて子どもを持たずリッチな暮らしをするっていう意味で、1980年代後半、バブル時代に流行った言葉ね。
私も経験あるわ。私にも、DINKSだった時代があったの。そのときは、確かにリッチに暮らしてたわ。周りにもいっぱいそういう夫婦がいたしね。」
ヨウコ「でも、それってバブルの一時期に流行っただけで、今は不景気で少子化だし、社会的にも、働きながら子育てするっていうのが推奨されてるんじゃないんですか?」
リリー「確かに、バブルの頃のようなDINKSは、今は少ないでしょうね。でもね、今また、昔とはちょっと違う形の”新DINKS”が注目されてるの。」
ヨウコ「新DINKS? 息子夫婦も、それなのかしら?」
リリー「たぶんそうね。新DINKSがどんなものか、教えてあげましょうか?」
ヨウコ「はい、お願いします! マダム・リリー!」
マダム・リリーが語る “新DINKS”とは?
リリー「まず昔のDINKSは、共働きで子どもを持たないことによって、経済的にも時間的にも余裕のある暮らしをして、いつまでも新婚のような夫婦関係でいられるってことで脚光を浴びてたわね。
バブル期だったこともあって、平日も週末も、2人で高級レストランでデートしたり、年に何回も海外旅行へ行ったり、お土産やプレゼントは常にブランドものだったり、新しいリッチな消費の形としてマスコミからもてはやされたの。
でも、共働きとはいっても、夫婦の財布は一緒で、基本は奥さんが家計を管理していたわ。あくまで、夫婦2人の暮らしを充実させることが重要で、平日のデートも、週末のおでかけも、長期休暇の旅行も、常に夫婦仲良く一緒に過ごすことが、DINKSの象徴的な行動様式だったの。
それに対して、新DINKSというのは、まず財布が別々で、お互いの貯蓄額なんかも把握してないことが多いわ。夫婦共同の貯蓄もしていない。それぞれ、自分が使う分は自分で出すのが基本よ。
お互いに仕事が忙しくて帰りもバラバラだから、平日の食事は基本別々。それぞれ外食で済ましてきたり、家でも自分の食べる分は自分で用意する。週末も、例えば夫は家で自分の趣味に没頭して、妻は友達とショッピングや食事、そんな風に過ごすことも多いみたい。
友達との旅行だって、『行ってきていい?』とお伺いをたてるのではなく、『今度どこどこに行ってくるから』と、報告するのみ。それにね、お互いに、一緒に食事に行くような異性の友人がいてもかまわないそうよ。
あとは、歯磨き粉やシャンプー、ボディーソープなんかの生活用品は、それぞれ自分の好きなものを別々に置いて使うのが当たり前なの。
要するに、独身時代のように、お互いに個人の時間を楽しむことが優先される関係なわけ。」
ヨウコ「…私たちの頃からは考えられないです。うちの息子夫婦も、そんな希薄な関係なのかしら…」
リリー「希薄な関係かどうかは、本人たちにしかわからないわ。昔の家族の形からすると、なんてドライな関係なんだろうと思えるし、夫婦というよりも、1番仲の良いルームメイトって感じよね。
でも、本人たちにとってそれが1番心地良くて、1番良い関係を維持できるやり方なんだとすれば、それを周りがどうこういうことはできないわ。例え親であってもね。」
ヨウコ「そうなのかもしれない…。でも、息子にはあたたかい家族の団欒を味あわせてあげたかった…。」
リリー「あたたかい家族の団欒…。確かに、幸せの象徴ね。でもね、それはあなたにとっての幸せ。時代も人も違えば、価値観は変わるの。子どもにそれを押しつけることは、親のエゴよ。」